風景/記憶

僕は渋谷の街によく出ます。家から近いのもありますが、本当の理由は、セゾン文化の昔から、このとっ散らかった街ではいつも新しいコンテンツが出迎えてくれるからです。

この街には積み重なる歴史や一貫したコンセプトはなく、差異化のゲームによる飽くなき消費衝動の喚起のみがプログラミングされています。多くのコンテンツは渋谷に訪れたくなる魅力を与えていますが、消費されるペースも非常に早いため、ときに焼け野原から立ち上がった歴史無き街の空虚さも感じます。

東山
フォロ・ロマーノ
写真の金沢の東山の街並みや、ローマの史跡は、歴史を感じさせ、都市そのものにコンテンツとしての趣を与えます。ただしローマは、東京のように現在進行形の都市であるというよりは、時に博物館のようにも感じてしまいます。

凱旋門から
運河の夕暮れ
ヨーロッパの都市としては、パリやアムステルダムはとても魅力的に感じました。おそらくそれは、現在進行形の活動が、歴史ある街並と共存して相互作用を起こしているからでしょう。

大崎ゲートシティ
この写真は僕が小さい頃に住んでいた品川のなんでもない風景です。私達はいつかこの風景を懐かしい記憶と感じるのか。あるいは、この風景の中に私達が記憶されるのでしょうか。


参考リンク:
葉っぱの〜終わりある日常。:「セゾン文化」とはなんだったんだろう、

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