見えない空間を形成するマテリアル ー無線通信が生む領域形成ー

近代建築の発展は、新しい素材を建築材料として用いたことがその変化の根底にある。伝統的な木や石、レンガといった素材に変わり、コンクリートと鉄、そしてガラスがその主役に踊りでた。その中でも興味深いのがガラスである。

ガラスは、空間を構成する素材の存在そのものを視界から消し去りたい、という人類の欲求に答えてきた。物理的な領域を明確に形成しながらも、視覚的な境界を取り払うことができる希有な建築材料なのである。その究極的な活用方法は、SANNAによる金沢21世紀美術館など、透明感を突き詰めた軽快な建築物に結実されている。

しかし、今日ガラス以上に目に映らないながらも領域を形成することができる“透明な素材”が存在している。それは無線通信に用いられる“電波”である。かつては“暖炉や囲炉裏の火”、“テレビの画面”が家族団欒の領域を形成してきた。同様に近年、無線通信に用いられる“電波”の到達距離によって人々の行動における領域が形成されている。以下、具体的な実例を3つあげながらその素材としての特性と利用方法について考えてみたい。

?セキュリティを確保する領域—イトーキ『LANシート』

イトーキにより開発されているオフィス用テーブルに興味深い事例が見られる。無線LAN機能の付いているノートパソコンを、机上に置くだけで社内ネットワークと接続できる会議用テーブルである。この機能は、『LANシート』と呼ばれるシート上のアンテナから電波を飛ばすことで実現している。
無線通信が可能な範囲を机上の近辺の近距離に絞ることで、机の上に置いた機器とは確実に通信が可能になる。その一方で、電波が机上
付近にしか届かないため、机から離れた所から部外者が勝手にネットワークにアクセスすることができなくなる。そのため、机ごとにセキュリティゾーンを設定することが容易になるという仕掛けだ。
情報機器を用いる前の時代には、会議の場に参加している人しか必要な情報リソースにアクセスできなかった。この事例が実現している

情報アクセスへの距離感も、そうした自然な空間の持つ距離感に沿っていて理解しやすい。部外者が会議室でテーブルについていれば、当然誰もがそれに気づき、排除することができるというわけだ。
イトーキによるこの試みは、無線通信に用いられる電波の到達距離を制限することで、通信可能と不可能という領域を生み出している。

利用者とってその差は、目に見えないながらも、部屋の内と外に匹敵する差異として行動に影響を与えるものなのである。

?他者と接触する領域—任天堂『すれちがい通信』

任天堂の携帯型ゲーム機である『ニンテンドーDS』には、搭載された無線LANを利用して近辺の他ユーザとの通信を可能にする『すれちがい通信』という機能を備えたゲームソフトが複数見られる。中でも、『おいでよ どうぶつの森』というソフトでは、『メッセージボトル』を用いてメッセージを交換するというメタファーが用いられており、最も興味深い。
この『すれちがい通信』を用いると、同じ『おいでよ どうぶつの森』をプレイし『すれちがい通信』モードに設定した他ユーザと、実際の空間で近距離に近づいた際、自動的にメッセージが交換される。この『すれちがい通信』が発生する距離は、ゲーム機に搭載された無線LANの電波の到達距離で決まっているのである。
人間同士の個体間に生じる距離が、そのコミュニケーションや双方の関係と密接な関係であることは、文化人類学者のホール等によって指摘されてきた。この『すれちがい通信』機能は、情報機器の力を借りることで、既存の知覚ではない第6感とでも言える知覚によって、空間で“すれちがう”ことに新たな意味を付加できることを示唆している。また、筆者による調査によれば、この新たな“知覚”を手にしたユーザは、通信相手との間に生じる距離感を楽しんでおり、人混みを通りたくなったと述べている。
この事例においても、決して目に見えないながらも電波の到達距離が新たな他者との距離感を規定し、その行動に影響を及ぼしている。

?外部とつながる領域—『ケータイの電波』

本江正茂氏はその博士論文において、女子高生の席替えについての事例を紹介している。とあるクラスの女子高生は、席替えにおいて、窓の位置や教卓から見た前後の位置以上に、ケータイの電波の届く席であるかどうかを重視しているというのである。教室という閉ざされた空間において、外と繋がるケータイは空間の持つ強制力に抗う重要な手段なのである。
この例は、一見均質化を推し進めそうな情報通信技術の発達においても、そのムラが電波の到達距離において生じている現状を端的に示している。本江氏は、こうした場所を均質でなくしてしまう情報技術の分布を“情報の地形”と表現しており、その地形に対する鋭敏さが重要であると述べている。
また、本江氏はこのエピソードのオチとして、別のコラム(※要出展)でさらに女子校生の発言を引用している。それは、携帯を持たない彼女らの先生は、なぜ彼女らがその“一部の席”に群がるのか全く理解していない、という点である。この指摘は非常に重要な意味を持っている。窓の側や教室の前後といった、目に見える環境の差異が生む領域ではなく、目に見えない電波が生み出す領域を、先生は理解し
ていない以上に理解“できない”ことを意味しているからである。

以上3つの具体例において、電波の到達距離がもたらす無線通信が、人々の行動に影響を及ぼす領域を形成していることを示した。これら事例から学べることは何であろうか。それは、“電波”が、コンクリートやガラスの壁と同様に、人々の行動を制限し、領域を形成し得るマテリアルの1つであることを明示的に意識する必要がある、ということである。特に、空間のデザインやマネージメントに携わる人々は、その到達と減衰のコントロールが、極めて繊細に領域を形成することを念頭にデザインを行う必要がでてくるだろう。
また、この“電波”という素材は、目で見えないものであるからこそ、その利用方法を知らない人にとっては決して知覚できないものである。それが電波を用いた無線通信のメリットでもある。しかし、今後はその特徴がデメリットにならないよう、必要に応じて適切な“見える化”もその用途に合わせて必要とされるだろう。

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