2011年から2012年へ:共感のテクノロジー

3月11日の午後、僕は胸を希望で躍らせていました。8年に渡る研究の成果を初めて具現化させた、スマートフォン向けのサービス「domo」を発表するために、テキサスのオースティンで開催される一大イベントSXSW 2011へ参加するため、成田空港から飛び立とうとしていました。自分が完成させた初めての本格的な製品。それを持って、Twitterやfoursquareが有名になった場所へ向かおうとしていたのです。

同僚達と合流する前にチェックインをすませようとカウンターに並んでいたその時、突然激しい揺れを感じました。天井から物が落ちてきそうな揺れの大きさに、フロアにいた人はみなしゃがみ込み、僕も壁際に逃げました。その後も余震が続き、出発便はもちろんすべての交通機関が止まり、一夜を空港で過ごすことになりました。あの夜にテレビで見た、燃え盛る石巻の光景は目に焼き付いて離れません。

テキサスに着いてから、初めて被害の大きさや、原発の状況などを知りました。製品を発表するという高揚感はすでに消え失せていました。日本は一体これからどうなるのか。残してきた家族や友人や大事な人達は大丈夫なのか−−そんなことばかり考えていました。

そんな僕達を励まし、奮い立たせてくれたのは、やはり人の絆でした。頓智ドットから参加したチームは本当のプロフェッショナルで、あのような状況の中でも製品のプロモーションを立派に行ってきました。同時に、ユビキタスエンターテイメントの清水さんが音頭をとって、SXSWに参加していた日本企業が共同で募金活動をしました。さらに、僕らの活動をSXSWの事務局から聞きつけたテキサス−アジア商工会議所の皆さんのご好意で、チャリティーイベントを主催していただきました。テキサスの皆さんからは、総額で3000万円近い寄付をいただきましたし、多くの方々から励ましと、災害に合った際の日本の市民の冷静な対応への賞賛の声を聞きました。僕は日本人であることをこれほど誇らしく思ったのは初めてでした。


地震と津波の災害も甚大でしたが、同時に起こった原発事故により、大量の放射性物質が放出されました。当初、SPEEDIの情報も公開されず、健康への影響についても政府からの公式な見解がきちんと示されず、専門家の意見もまとまりませんでした。そうした中で、特に小さいお子さんを持つ親御さんなどは、不安を募らせるばかりだったかと思います。

そうした中で、父である児玉龍彦が、東大アイソトープ総合センターセンター長として7/27に衆議院厚労委員会に参考人として呼ばれました。かねてより原発事故への対応を問題視していた父は、「満身の怒り」とともに、状況把握と除染の必要性を説きました。その映像がYoutubeに投稿されていたため、リンクをツイートしたところ公式だけで5900ものRTをされ、またたく間に100万回以上視聴されました。

僕はこのとき初めて、ソーシャルメディアというものの力を肌で実感しました。ソーシャルメディアにおける伝搬は、個々のユーザーの「伝えたい」という気持ちの集合です。よりみんなが共感する、伝えたいと思う内容であれば、ソーシャルメディアはとてつもない力を発揮する。今回の父の答弁には、そんな力があったのだと思います。

父は、夏から、今に至るまで、ほぼ毎週400kmの道のりをドライブして福島へ行き、除染活動に取り組んでいます。父はゲノム創薬の研究者で、放射能汚染そのものが専門というわけではありません。しかし、今回の事態に対しては、科学技術に携わるすべての人間の責任として、健康被害を防ぎ、国土の保全をしなければならないという気持ちから、ほとんどボランティアで活動に取り組んでいます。


この2011年という年は、科学技術と社会の関係が切実に問われた年でした。テクノロジーは僕達を守る防波堤や、人と人とを結びつけて独裁者と戦う武器にもなれば、適切にマネージされなければ一つの街を滅ぼしてしまうこともある。

今年、僕達はテクノロジーを用いて生活を豊かにすることに生涯を捧げた一人の偉人を失いました。あの災害を越え、スティーブの死を越えて、それでも僕は、災害に直面した僕達日本人が、僕達を応援してくれた世界中の人達が、見せたような人間性、共感する力というものがある限り、テクノロジーとイノベーションは世界を前に進めるための力になると思っています。2012年も、僕はテクノロジーの可能性を追求していきます。

2 thoughts on “2011年から2012年へ:共感のテクノロジー”

  1. 初めまして。 お父様のメッセージを今朝のTV番組で知りました。 被災地の放射能汚染をとても心配している国民の一人です。 http://ameblo.jp/thackery/ のブログに行って確認願えれば、 私が日々何を考えて生きているかお分かり頂けると思います。 今朝も、 『震災復興 啓示五十四』(2012年第三信)を書いていて、 お父様のメッセージに接しました。 もし、 お父様と哲彦様のメールアドレスを教えて頂ければ、 私の考えをお伝えできると思います。 ご縁がつながることを祈念します。 よろしくお願いします。 東京大学に息子、 京都大学に娘を入学させた友人より、 「いつも熱いメッセージありがとうございます。 2月3日の同期会では、“これからの日本の進むべき道”について大いに議論しましょう。 檜田さんに口火を切っていただきたく思いますがいかがですか。」とのメッセージを受けました。 日本を本当に良くしたく思っています。 是非交流のチャンスを与えて頂きたく。 (私もアメリカのCESに参加した経験があります。)

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