思考停止の国の僕ら-石川県の小中学生携帯所持規制条例-

小中学生の携帯所持規制 保護者に努力義務 石川県条例

石川県では、自民党会派が中心になって進めた条例の改正で、小中学生に防災や防犯以外の目的で携帯電話を持たせないようにする保護者の努力義務を盛り込んだそうです。直接のきっかけとしては、サイトへの書き込みに腹を立てた高校生が相手をバットで殴る事件が発生したからだとか。

それなら、6歳でプログラミングを始め、中学校でパソコン通信やインターネットにハマり、高校では学校近くのISDN公衆電話でネットに接続していた僕なんかは、きっとそのせいでスポイルされて今のようになったのでしょうね 😛

公立の小中学校が荒れているという話はよく耳にするし、現場の教育者の方は裏サイトやネットでの嫌がらせに頭を悩ませていることは事実なのでしょう。

それでも、あえて言いたい。こんなの大きなお世話以外のなにものでもないでしょう。

ケータイがなければトラブルが発生しない?ご冗談を。小中学生くらいの年頃なんて、日常とはトラブルそのものです。むしろ、表立ってトラブルが発生しないとしたら、その方がはるかに歪んでいる。

子供だって建前と本音のある世界に生きています。その折り合いをどう付けるかを学ぶことが、思春期そのものです。そのことは、ケータイを規制しようがしまいが変わりません。ケータイに何か書き込まれたから相手をバットで殴るクソガキと、ケータイのどちらに問題があるでしょうか?

日本国憲法第13条:
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

ケータイ所持の規制に一点だけ理があるとしたら、世代間のメディアリテラシー格差がかつてなく広がっていて、子供のケータイネットの世界の中のことが大人には可視化されていないので、無法地帯化する、という懸念は確かにあるでしょう。だからといって、小中学生がケータイを使うことが「公共の福祉に反」するんでしょうか?

モバイルとネットは、間違いなく今の社会における最大のイノベーションであり、社会として、それをどう受容し、活用していくか、真剣に考える義務が僕達一人一人にあります。

当然、子供にケータイをどのように与えるか、あるいは与えないかは、個々の家庭や学校が考えるしか本来はないはずなのです。それを、罰則規定が無いとはいえ、県議会が一方的にベキ論をぶって「努力義務を課す」なんてのは公権力の濫用もいいところ。そして、それを歓迎する親や教員がいるなど、言語道断。それは、自分自身の子供や、自分の指導する生徒に対して、自らの頭で考えて行動する責任を取れないから、お上へ依存するという精神そのものです。

少なくとも僕は、石川県で子育てをしたいとは決して思いません。

6 thoughts on “思考停止の国の僕ら-石川県の小中学生携帯所持規制条例-”

  1. 同意。

    最近独立したんだけど、ちょっと教育産業とコネできてね、今後「子どもむけの防災・防犯学習ゲームを携帯で」なんて仕事あるかもしれない。みんなが携帯持ってるからこそ教えられることとか、どうして考えられないんだろうね。

  2. あ、てゆうかその防犯・防災用コンテンツを全ての携帯にプリインストールしちゃえば、全ての子どもが防犯・防災目的で携帯所持していることになるからこの条例を無効化できるね。一泡吹かせてやりたい。

  3. うん。個人事業主。
    従業員はいないよ。
    ただ、一緒に仕事してるCGアーティストの方達にお金渡す立場なのでひーひー言ってるけどねw

  4. 今は、カナダの携帯用ゲームの開発を手伝ってる。僕自身はゲームデザインとかレベルデザインとかシナリオ監修とかだけど、日本人のCGアーティストのマネージメントとか、日本でのパブリッシャー探しとかやってる。まだまだ今は本当に小さい仕事だけどね。

    教育用コンテンツとかシリアスゲーム方面にも手を出しつつ、技術力高いカナダのデベロッパーと一緒にオリジナルゲーム作って行くっていうのが当面の計画かな。

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