社会的インタラクションと身体

社会的インタラクションとは

携帯電話の公共の場での利用は,なぜマナー違反と感じられるのだろうか.この単純な問いかけに答えることは,意外と難しい.本章では,この問いかけに答えることを軸に,人と人とが関わり合う社会的インタラクションにおける,E.Goffmanの概念的枠組みを導入し,その枠組みと関連した研究を参照しながら議論をする.

携帯電話のマナーの問題を捉えにくくしているのは,それがコミュニケーションの内容に依存しているわけではないからだ.電車の中などを考えても,電車に乗っている人間どうしのお喋りと,携帯電話でなされる会話とで,内容に根本的な相違があるわけではない.であるならば,それらの会話についての形式の違いが,適切さの違いを生み出していると考える他ない.

Goffmanは,このような会話の行われる形式に着目する,相互行動(インタラクション)論の創始者として知られる.具体的には,人と人が対面して関わり合う場面を対象に,会話をメッセージの意味内容の交換としてではなく,相手への敬意や相手との関わり合い(インヴォルヴメント)を示すという,ノンバーバルな意思表示の構造化の過程として捉えた.Goffmanは自らの関心を以下のように規定している:

複数の人が対面していることによって生じるさまざまな出来事の全体,それが主題である.ある状況の中で人びとは,意識してか否かは別にして,ちらっと見る,身ぶりを見せる,立場を決める,発言する,といった動作を連続的に行うわけで,それらの動作こそが,この研究の素材としての行為に他ならない.それらの動作は,適応と関与ーー普通には,社会の編成と関連させて考察されない心身の二つの状態ーーとが外に表れた象徴(サイン)である.(アーヴィング・ゴッフマン「儀礼としての相互行為」pp.1)

ここで重要なのは,社会的インタラクションにおけるノンバーバル情報が,1)適切さ,2)関与の度合い,という二つの基準で評価されるという点である.よって,社会的インタラクションは,参加者各々が劇場の上で,自らの役割における適切な振る舞いを演じ合うパフォーマンスであると定義される.では,振る舞いの適切さは,どのようにして評価されるのであろうか.

まず社会的インタラクションの参加者は,特定の相手との特定の出会いにおいて,自己の積極的な社会的価値あるいは役割を,自己規定する.これを面目という.社会的インタラクションにおける行為は,意識的/無意識的な行動を通じた表象によって,原則的に自分自身あるいは相手の面目を維持しなければならないという責務(コミットメント)を負っている.自分自身の面目に対する期待から外れる振る舞い,あるいは他人の面目を尊重しない振る舞いは,不適切な振る舞いとして糾弾される.

このようなコミットメントを求める個別の文脈をGoffmanは表舞台と呼んだ.我々は表舞台でのパフォーマンスを成功させるためには,面目の維持の責務を負わない裏舞台において,パフォーマンスの試行や準備を行っている.Goffmanは裏舞台の概念を説明する上で,例えば葬儀における死体に対する処理や,ホテルの厨房を例として挙げている(アーヴィング・ゴッフマン「行為と演技」pp.132-138).裏舞台が表舞台から見えてしまうことは,典型的な不適切さを生じる.既存の物理的なセットアップは,通常は不適切な社会的インタラクションの発生を避けるようにデザインされているため,通常上述のような表舞台と裏舞台は分離されている.

ここで物理的なセットアップを明確に定義付けると,床,壁,天井,あるいは什器,装置,人といった空間の構成要素,及びそれらの位置関係を指している.Goffmanは社会的インタラクションにおける物理的セットアップ,具体的には人間の立ち位置等の意義を指摘し,事例を挙げた.一方で,Goffmanの記述は定量化や一般化を欠いており,応用することが難しい.次の節においては,こうしたGoffmanの理論的枠組みを発展させ,物理的なセットアップが社会的インタラクションにどのような役割を果たしているかをより詳細に分析する.次ぐ節においては,携帯電話やネットワークカメラのような物理的なセットアップに制約されない情報システムが導入されることで,インタラクションにどのような不適切さが生じるかを述べる.


物理的セットアップの機能

物理的セットアップについて

本研究では,物理的なセットアップの社会的インタラクションへの影響を,1)距離,2)方向,3)遮蔽という3種類の視点から整理する.それぞれについて,より具体的な検討を行ったE.Hallによる社会的関係と物理的距離との相関,A.Kendonによる会話の参加者の位置関係,及びC.Alexanderによる建築空間におけるドアについての議論を紹介する.これらを通じ,社会的インタラクションにおける物理的なセットアップが,対象へのアクセスによって構造化されていることを明らかにする.

距離:社会的関係と物理的距離

文化人類学者であるHallは,社会的インタラクションを行う参加者について,その親密度あるいは社会的関係の距離に応じた物理的な距離を取ることを明らかにした.この物理的距離の持つ社会的なプロトコルを,Hallはプロクセミックスと名付け,文化間の差を含む詳細な検討を行った.

Hallは,個体間の距離を1)家族やパートナーと密な接触を行う密接距離,2)近い関係の個人間のインタラクションが行われる個体距離,3)それほど近しくない相手とのインタラクションに用いる社会距離,4)直接的なインタラクションは生じない公衆距離,の4段階に分類した.そして,社会的関係の範囲を超えた相手への接近は,不適切な振る舞いと見なすことができる.このことから,特定の相手とのインタラクションにおいてどのような距離を取るかは,相手との社会的関係の近さを示すパラメータであると解釈できる.

Hallの貢献は,単に社会的関係と物理的距離の相関を示したことにとどまらない.Hallによる距離の分類は,密に触れ合う,手を伸ばせば届く,会話ができる,相手を見ることができる,というように,相手に対して可能なアクセス(アフォーダンス)によってなされている.Hall自身が,アフォーダンス理論を提唱したJ.J.Gibbsonの強い影響に自ら言及している.ここで示唆されるのは,社会的インタラクションにおける位置関係は,人間の感覚モダリティ毎のアクセス可能範囲によって規定されているということだ.この点については,引き続き議論していく.

方向:会話の参加者の位置関係

Hallによって対面会話時の距離は明らかになった.一方で,対等な人どうしが出会い,話をするというもっとも基本的な社会的インタラクションの単位は,どのように識別可能だろうか.その際,人はどのような位置関係を取ることを適切と感じるだろうか.直感的な回答は,お互いに向き合っていることである.人数が3人?5人程度であれば,多くの場合円形に,中心を向いて並ぶと考えられる.このような位置関係を,Goffmanの理論的枠組みを受け継いだ社会学者のKendonは,F-formationと定義した.主に誕生パーティーの来客と主賓との挨拶の様子を撮影したビデオによる分析を通じて,F-formationが一般的に見られることを明らかにした.

F-formationの例
F-formationの例

F-formationはなぜ生じるのか.それは,距離の場合と同様,人間の感覚モダリティのアクセス可能範囲によって説明される.人間が知覚しアクションを起こす,すなわちアクセスできる空間の範囲は,一般的に個人の前に広がっている.複数人が一緒にインタラクションを行う場合,一つの領域にアクセスしようとすると,中央に一定の大きさの空間を伴う空間を確保するようになる(Kendonはこの空間をo-spaceと呼ぶ).参加者の人数や,会話の流れなどによって,細かな位置関係は変化する場合はあるが,会話の参加者は常にこのo-spaceを維持しようとすることが明らかとなった.

この知見から,複数人がF-formationの位置関係にあれば,それらの人々が社会的なインタラクションを行っていると考えられる.

遮蔽:ドアとプライバシー

社会的インタラクションの中では,上述のように感覚モダリティによって対象へのアクセスがなされる.であるならば,たとえ近くにいたとしても,あるいは向き合っていたとしても,壁や扉等のセットアップによって感覚モダリティが遮蔽されていれば,社会的インタラクションは制限される.建築の中では,このようにして部屋のプライバシーの確保を行っている.

扉には様々な種類がある.まず,玄関等の外扉と,家やビルの中の内扉では機能が異なる.本研究では,建物の中の相手どうしのコミュニケーションを対象とするため,内扉のみを対象とする.また,引き戸と開き戸では利用法が異なる.ここでは,開き戸のドアについて考察する.
ドアが建築空間の中で果たす役割は,大きく分けて1)通行の制御,2)視聴覚情報の制御,3)空調の制御,の三種類であると考えられる.
これらのうち,最初の二種類はいずれも周囲の他者との関係性に影響を及ぼす.
個室で作業に集中している場合などは,多くの場合部屋のドアは閉められる.
特に周囲に他者がいる場合はそうであると考えられる.
一方で,音などで外の様子を部分的に伺う場合,ドアを半開きにしておくことが考えられる.
周囲に他者がいない,あるいは周囲と積極的にコミュニケーションを図りたい場合には,ドアを大きく開放することもある.

このように,ドアやカーテンは,プライバシーを動的に調整するという役割を持っている.
(ただし,気温が著しく高い/低い場合などは,空調制御の目的で開閉がなされる場合もあり,
上述のコンテクストが有効なのはそうした必要が少ない場合に限定される.)

建築の研究者であるC.Alexanderは,「パタン・ランゲージ」において,ガラス入りのドアについて以下のように述べている:

ガラス入りドアは,優雅な入室と優雅な応接を可能にする.つまり,部屋の内外の人がともに心の準備ができるからである.またそれによって,さまざまな度合いのプライバシィが得られる.ドアを開けたままにしてもよいし,閉めれば視覚的つながりを残しながら音のプライバシィを保てるし,さらにドア窓にカーテンを引けば視覚的にも音響的にもプライバシィが得られる.そして最も重要なことは,ガラス入りドアによって,建物内の全員がつながっているーー個室内で孤立していないーーという感覚が生まれることである(クリストファー・アレグザンダー「パタン・ランゲージ」pp.585)

これはガラス入りドアという特殊な場合について述べたものであるが,通常ドアは視覚と聴覚,及び入退室におけるアクセス制御の役割を果たしている.

遮蔽行為によるプライバシー制御が行われるのはドアにおいてだけではない.部屋の窓のブラインドは,家の外から家の中を隠すという類似した機能を持っている.
またトランプの手札を手元に隠す行為,秘密の会話をする際に周囲の他人に聞かれないように場所を移動する行為なども,同様である.このように,特定の装置の画面や部屋の情景,会話の声などを,自分あるいは限られた相手とのみ利用できるように位置関係を調整する動作は,
全般的に表舞台と裏舞台との切り替え,すなわちプライバシー制御に用いられている.